森技官は西ケ花さんの悪女オーラでライフが削られてしまったのかな?とも思ったが。

 彼も「同性」からはそういう金銭を伴った誘惑は受けているかも知れない。祐樹などはゲイバー「グレイス」に足(しげ)く通っていたのは金銭に余裕がない学生時代から研修医までの期間だったので、服も当然ながらブランド物ではなかった。それに「平凡な会社員」と自称していたので、身体目当ての人はともかく、お金目的では近寄って来る男性は居なかった。

森技官は新宿二丁目に今でも良く入り浸っているようだし、着ている服がアルマーニなのでお金が目的な人も居るのかも知れない。

祐樹と同じく森技官も異性には全く興味がないので、例えば厚労大臣の接待などで銀座にでも行った場合もソツなくは振る舞えるだろうが、ホステス嬢などからあからさまに媚びを売ったり愛人関係になりたいと仄めかされたりした経験は多分ないだろうから。

「生命保険金が振り込まれるのを止めていると病院長室でお伺いしましたが、内部資料も見ることが出来ますか?」

 最愛の人が森技官の顔を真剣そうな眼差しで見詰めていた。

「極秘事項などは別ですが、ある程度ならば閲覧は可能です。財務省にも金融庁にも懇意にしている知人が居ますので。

 どんな資料が必要なのですか?」

 保険会社の監督省庁は知らないが、どうやら財務省と金融庁に分かれているらしい。ライフが20の森技官なのであまり刺激しない方が良いと思って祐樹は黙っていた。

「西ケ花さんを受取人に指定した保険にいつ加入したか調べて頂けませんか?また養子縁組が行われた時期についても調べることが出来るならそれもお願いしたいのです」

 最愛の人には何か考えがあるようだ。まあ、分析力にも長けた人だし頭脳明晰さは言うまでもないが、やや柔軟性に欠ける。ただ、柔軟性と言うか臨機応変さに関しては祐樹の得意分野なのでお互いの頭脳が合わされば最強だとも思っているが。

「分かりました。その結果は――ああ、今の時期は首相が海外を歴訪していまして。その御供に加わっている人ばかりなのです――帰国した時よりも後に判明しますがそれでも構わないですか?」

 要するに首相のお供が出来るほど優秀かつ将来有望な「知人」が複数居るということなのだろう。森技官だって医療分野が首相の諸国歴訪のテーマならば随員に加わっているのだろうなとも。

「はい。それは構わないです。まだ本命の長楽寺氏の奥様とかお子さんについて、また家政婦さんの話も聞き終えていませんから。

 捜査は始まったばかりなのでそのお知り合いが帰国してからで大丈夫です。一刻を争うような事態ではないです」

 何だか毒薬でも飲み干す感じでコーヒーカップを空にした森技官はやっと落ち着いたような笑みを浮かべている。

 可哀想なので砂糖の件は不問にしよう。

「しかし、100万円とか120万円で愛人契約をするような話の流れになったのですよね?彼女からはどうやって逃げて来られたのですか?」

 祐樹も最愛の人からの電話がなければ身の危険(?)というか、ベッドに連れ込まれそうになるリスクを肌で感じて鳥肌が立ちそうだったのに、森技官はライフを削られただけで無事帰還出来た理由を知りたかった。

 祐樹はカルティエの時計しか「約束」はしていないのに森技官の(ほう)は具体的な月極(つきぎめ)のお手当の金額まで聞き出しているのだから、彼女は蛇のように絡みついて離さないだろうな……と思ってしまった。

「ああ、藤宮君にこっそり電話をしました。普段の連絡はライン通話で済ませていて、私のスマホの番号から掛けた時は緊急事態を告げるものだということを彼女は知っているので」

 藤宮技官は森技官の最も信用している部下だし、何だか人間ではなくてアンドロイドというかAIのロボットのように有能かつ人間味がない女性だ。確かに彼女なら即座に反応してくれるのだろう。

ITのベンチャー企業社長という触れ込みで接触したので、藤宮君から電話が掛かって来た時に『サーバーがダウンした?SE(システムエンジニア)もお手上げ!?直ぐ向かう』とお勘定もせずに逃げて来ました」

 ということは森技官の頼んだシャンパン代なども西ケ花さんが支払ったのだろう。いや、まだ吞みながら次の男、いや愛人(パトロン)候補を物色中で、代金はその男に払って貰う積りかもしれないが、祐樹の元に領収書が回って来ないのであれば何の問題もない。

「色々とお疲れ様でした。では私達は長楽寺邸にアポイントメントの電話をしますので……」

 森技官は男らしく整った眉根をギュッと寄せて祐樹を睨んでいる。そんなに睨まれる筋合いは有ったかな?とか失言でもしたか?と色々考えた。

「祐樹……録音データを消すという約束をしていただろう?」

 最愛の人が取り成すような感じで割って入ってくれた。

 そう言えばそうだったな……と思い当たったのは、多分祐樹も西ケ花さんの毒気が抜けきっていないからなのだろう。

「ああ、それは失礼しました。この録音で問題ないですよね?」

 閉店の時間が近いので、店内に客もいないし店のスタッフさん達は店を閉める準備をしているのでこちらに注意を払っている人は居ないけれども、念のためにアプリに入っている音声をハンズフリーではなくてスマホから聞こえる設定にして森技官に渡して音声を聞いて貰った。

「……そうです。この音声を完全に消去してください。田中先生は流石と言うかなんというか……。油断も隙もないですよね……」

 森技官の目の前にスマホを置いて消去をタップした。

「褒め言葉として受け取っておきますよ……」

 祐樹もスマホをヤマ勘で操作したことは内緒にしておくことにした。




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