走り書きだったが読めれば充分だろうし、難しい漢字は書き慣れているのでそう苦でもない。祐樹の手元を見た最愛の人は眼差しで合図をしてくれて、すらりと立ち上がった。
「申し訳ありませんが、お手洗いをお借りしたいのですが……」
西ケ花さんに近づくと見せかけてキッチンの内部を全部暗記しようとしているのだろう。普段でも無意識に全てを覚えている人だが、祐樹の指示通り完璧に近づけようとしてくれるハズだ。
「どうぞ。廊下右側の二番目のドアよ」
西ケ花さんはさっきの「高校の時の授業参観を思い出す」発言のせいで媚びる気持ちが雲散霧消したのか冷たく事務的な口調だった。
整った容姿のせいかと先ほどは思ったが、良く考えてみると――まあ、彼女に疚しい点がなければ長楽寺氏の遺産が入るのでその必要を感じてはいないのかも知れないかも知れないが――水商売の女性は男性の衣服を見ただけでおおよその値段も分かる特技を持っていると暇つぶしに読んだ本に書いてあったような記憶がある。
最愛の人は選ぶのが面倒という点と教授職に相応しい恰好という二点を満たすだけの理由でフランスの老舗ブランドで全身を固めている。その点祐樹は百貨店で適当に買ったスーツやネクタイなので価格差には格段の開きがある。容姿プラス金銭的余裕という点で西ケ花桃子さんが次のカモ……いやターゲットリストに加えようとしていたのかもしれないなとも推測出来る。何だか自宅で寛いでいるハズなのにフルメイクだし、体形の維持にも細心の注意を払っていそうだ。単なる習慣かも知れないが、4億5千万円が入り、こんな高級そうなマンションも――先ほどスマホで確認したがこの広さと立地なら億までは行かないにせよ5千万円では買えない――持っているものの、自分のお店を持ちたいとか考えているならカモ、いやパトロン選びは必須だろう。
将来についてどう考えているか聞き出す必要が有るな……と思った。祐樹もドラマの中でしか知らないし、そのドラマがどの程度リアリティを持って描かれているかは分からない。ただ、水商売の聖地というか憧憬や羨望の的である銀座にそれなりの規模のお店を開く開業資金は一億以上必要で、人件費とかのコストを考えるとお金などは幾らあってもまだまだ不安なのだろうし。
最愛の人の姿がお手洗いのドアの中に消えたのを音で察して西ケ花さんに済まなそうな表情を向けた。
「申し訳ないです……上司があんな人で……。仕事は出来るのですが……」
前半は方便で、後半は本当のことだ。それにキッチンの入り口付近では数秒立ち止まっていたので、内部の様子は全部暗記済みなことは確信している。
「あら、貴方……田中捜査官って言っていたかしら?そんなどこにでも売っているノートを使っているの?警察手帳にメモとかしないの?ドラマみたいに……?」
祐樹のノートは先ほど買ったもので、確かにどこにでも売っている。内心ギクリとしたが表情には出さない。
「警察手帳ですか?ドラマでは良く使われていますよね。ただ、あんな小さい手帳に全てメモすることが出来るでしょうか?
それに警察はいざ知らず、警察庁では皆がこういうノートとかタブレットを使っています。事件ごとに替えることが出来ますし、書ける容量も異なりますので」
「警察もいざ知らず」と言ったが実際は「警察も警察庁も知らない」が正解だ。ただ、それなりの説得力は有ったらしく、西ケ花さんはおそらく煙草をもみ消す動作をしながら「ふうん」と言って頷いている。
「悪いけど、食後のコーヒー淹れて良いかしら?貴方方は要らないのでしょ?別に淹れて上げても良いのよ……?別に誰にも言わないし……」
意外と気配りが出来るのだなと思った。ただ、水商売の女性は――しかも若さとバカさが取り柄な店もあるらしいが――咄嗟の機転とか気配りも必要だと何かで読んだ。
「いえ、本当に結構です。コーヒーでも煙草でもご自由になさってください」
「女房が煩くてさ」とか言っている柏木先生のように、コンビニで袋詰めにされて売っていて、一杯ごとにお湯を注ぐヤツかと思いきやコーヒーに凝っている最愛の人や不定愁訴外来の呉先生のような本格的なモノを使って感じの音と気配だった。
最愛の人がトイレから戻って来て席に座った。祐樹に眼差しで「全部見た」というほどの意味を伝えてくれた。
「マイセンですか?とても……良い趣味ですね」
西ケ花さんが一人分のコーヒーをトレーに載せてこちらに歩んできたので嫌でもコーヒーカップは目に入った。
最愛の人も食器の収集癖は有るし、マイセンも多数家にある。祐樹が気に入っている――といっても最愛の人が嗜んでいるのを見るのが好きなだけだ――大きな薔薇が一輪描かれているモノではなくて色とりどりの小さな花がたくさん描かれているカップで割と少女趣味なのだなと思った。「とても少女趣味」と言いかけたが祐樹にまで臍を曲げられたら困るので慌てて言葉を選んだが。まあ、確か少女趣味ではない長岡先生も病院内の個室で使っていたような気がするし、趣味は関係ないのかも知れないが。
「で?話って何かしら?」
ダイエットのためか砂糖もミルクもなしのコーヒーを一口飲んだ彼女が口を開いた。
「単刀直入にお聞きします。その点はご容赦ください」
なるべく事務的な口調と無表情さを取り繕って口を開いた。
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