何だか懐かしいような、それでいて耳に慣れた音に祐樹の意識が徐々に眠りからさめようとしていた。
「うわっ!」
 背中に違和感、いや何か小さいとげが何本も身体に刺さるような不快な感触を覚えて飛び起きてしまった。
ん……祐樹おはよう」
 まだ眠そうな表情で祐樹を見上げる最愛の人のどこかぼんやりとしている表情も新鮮だった。普段は寝つきも寝起きも良い人なのだが、昨晩から夜中にかけての愛の交歓の疲れがあったに違いない。
「おはよう」のキスを交わしたかったのだが、背中のチクチクゾワゾワする感触が気になった。
「背中に何か付いていませんか?」
 首を後ろに向けてみたけれど、あいにく視界に入らない場所だった。
 最愛の人が昨夜の余韻を残した薄紅色の上半身を優雅で甘い仕草で起こしている。
「祐樹……。祐樹の背中にセミが止まっている。動かないでいてくれ。捕まえるから……」
 つい先ほどとは異なった楽しげな笑みを唇に浮かべて、祐樹の背中に薄紅色の細く長い指を慎重に動かしている。すぐに祐樹の視界から消える場所へとしなやかな指を移動させている気配がした。
 クマゼミのけたたましい鳴き声がした。完全に成虫となったセミを注意深く掴んだ指があたかも戦利品を掲げているかのように祐樹の目の前に差し出してくれた。
「助かりました……。一体何事かと思って飛び起きてしまいましたよ……。最愛の人もベッドの上で半身を起こしていて、それは祐樹も同じだったけれども羽毛の枕の凹み具合から自分達がそのように眠りの国に居たのか容易に推測出来た。
「もしかして、私が眠っている間、ずっと腕枕をして下さっていたのですか?」
 一番気になっていたことから確認したい。
「私も祐樹が眠りに落ちてから30分後くらいに眠くなってしまったので、それ以降は定かでないのだが……、祐樹がストンと眠った時に危ないかもと腕を頭に添えていた。その祐樹がそのまま枕に頭を落としたので睡眠の邪魔をしては悪いと思ってそのままにしていた。祐樹の幸せそうな寝顔を見ながら眠りにつけたのは、とても幸せな気分だった……」
 薄紅色の唇が極上の笑みを浮かべている。愛の交歓の後の甘い色香を漂わせながら。
「それは、本当に申し訳ないことをしました。強烈な睡魔に襲われたとはいえ、腕枕をさせてしまうなんて……。しびれていないですか?」
 二人だけの時は熱烈に愛し合う恋人同士だけれども、最愛の人の腕や指は多くの患者さんの命を託されている「神の手」で、祐樹よりも切実に――何しろ、命というか心臓を預けている――求めている人は多い。愛の交歓の時でも腕や指に負担が掛からないようになるべく務めてきた、あくまでも努力目標で達成されたとは到底思えないのだが。
「大丈夫だ。左腕だったし、今日一日の時間が有ればしびれなど完全に治まるだろう……」
 必死な感じで鳴いているクマゼミを持っているのは右手で左手が赤く染まっていることからも最愛の人がウソを言っているとは思い難い。それにこの人は嘘をつく性格では全くない。
 最愛の人も祐樹も両方の腕が利き手のように動くのも事実だったが、彼の右手はいわば「公器」で、祐樹が独占して良いモノではない。本来の利き手は右だったので、そちらに頭を落とさなくて良かったと安堵した。
「祐樹が眠りについた後、シーツをそっと掛けて枕に頭を乗せて祐樹の寝顔を見ていた。
 ただ、左手の動きが制限されていたので身体全体を包めなかった……だから立派な成虫になったセミが飛んでシーツの隙間に止まったのだろう。
 部屋には三匹のセミが居て、一匹は最愛の人の指が細心の注意を払って掴んでいるのが分かった。「取り敢えず、セミの抜け殻の入った容器を空にして、そこにカブトムシとクワガタを入れましょう。抜け殻は当然逃げませんから、テーブルの上に置いておくと良いでしょうね」
 最愛の人は薄紅色の長い首を傾げている。
「この小さいほうの容器にカブトムシとクワガタ二匹を入れて餌も置いておくのだろう?小さくて窮屈ではないか?」
 最愛の人の素朴な疑問に、科学雑誌や図鑑には載っていなかったのかな?と思った。
「カブトムシやクワガタは夜行性なので、昼間は眠っているようなものです。ほら、昨夜ほど動いていないでしょう?餌の樹液は摂取するかもですが、それ以外は基本動かないです」
 納得したように頷いた最愛の人は頷いて小さい容器から稀少で繊細な宝物たからものを――彼にとっては文字通りの意味だ――慎重な手つきで取り出して、テーブルの上に置いた。
 祐樹はその容器を受け取ってカブトムシ達をそっと移した。木を模した餌を入れると確かに狭いが、暫くの間だけなので我慢してもらうことにする。
 ちなみにあとの二匹はカーテンに止まって通常の鳴き声を上げている。
 睡眠から醒める直前に聞いたのはクマゼミの鳴き声だったらしい。
「祐樹……、この子達は羽化で体力を使っただろうし、樹液を欲しているに違いない……。
 カブトムシとクワガタは専用のえさが売っていたのでそれを与えておけば大丈夫だろうが、この子達は樹木に口吻を突き刺して樹液を摂取すると科学雑誌に書いてあったので、外に逃がしてあげたほうが良くないか?なるべく早く……」
 昨日、京都から神戸に来る途中にある大学の構内でセミを捕まえたり羽化の様子を愛の交歓の最中さなかに見たりしてすっかり愛着を覚えたらしい。
そうですね。まずはバスルームに行って昨晩の愛の交歓の名残を洗い流した後で、セミの幼虫を捕まえた辺りで放してあげましょう。本来ならばあの木々のどこかで羽化を遂げてそのまま樹液を摂取したに違いないのですから」
 一応の段取りを決めた後、改めておはようのキスを交わした。
「聡……セミのことが気に掛かるのは分かりますが、その恰好は目の毒です……」

 極上の目の保養と思って眺めていたものの、これ以上は耐えられない。堪り兼ねて制止の声を上げた。





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