「今回の件は、まさか貴方が聞いていらっしゃるとは思ってもいなかった私のミスもありますので『仕方ない』の一言で済む話なのです。しかし、今後も職務上患者さんと雑談をして信頼を深めることもあるハズです。

しかし、その時どんなに耳を疑うような言葉を耳にしても、可及的速やかに私に直接聞いてください!それだけは約束ですからね」

太陽のような眼差しが真剣な光を放って(まぶ)しくすら感じる。ただ、この視線だけは真っ直ぐに受け止めなければならないと思った。

「約束する。これからは絶対に祐樹に聞くことを」

 祐樹の眼差しが春の光のように和らいだ。

「では、そうですね……。指切りげんまんでもして気分転換しましょうか?」

 ソファーから立ち上がった祐樹が小指を差し出してきた。

 弾む気持ちを持て余しつつソファーから腰を上げて祐樹の小指に自分の小指を絡ませた。

 ささやかな儀式が済むと、祐樹は時計をちらっと見て、苦い笑みを浮かべている。

「もう、行かなくてはならないのではないか?」

 先に確かめることにした。

「いえ、黒木准教授の指示が明らかに不審だったので、貴方が『良い意味で』会いたがってくださっているのかと考えていました。単なる報告だけではないことも何となく察していました。逆の意味で思惑が的中してしまって残念ですが、私が遅れることは柏木先生に説明してある程度はカバーしてくださると約束して来たので、もう少し時間があります。

 繰り返しになりますが……今回の件はもう終わった話なのですけれど、これから貴方を不安や悩みで――しかも身に覚えがない程度のことなら尚更(なおさら)のことです――この頭をいっぱいにしないでください。

 貴方の頭の中で私へのポジティブな想いに(ふけ)るのは大歓迎ですが、その反対は絶対に嫌なのです」

 真摯な光を宿す祐樹の眼差しに射すくめられて、その光ですら愛おしく思ってしまう。

「約束する、絶対に今後は祐樹に真っ先に聞くことを。

……正直なところ、悩みというか……正直どうしていいのか分からなくて一人で煩悶(はんもん)していた。祐樹の声で『好きです……愛していると言っても……』みたいな言葉を聞いた時には頭の中が真っ白になったというか、ハンマーで殴られたような気持ちになった。

 そして、呉先生に相談しようと思いついて……診察中だったので、消去法で長岡先生の意見を聞きに行って、二人から色々とアドバイスを受けたのでだいぶ気持ちが楽になった。

 それに二人とも祐樹の気持ちが全く色()せていないと言わんばかりだったな……。あれでかなり救われた」

 祐樹の秀でた眉が少し寄せられる。

「貴方の気持ちが救われたこととか、お二人の観察眼とか状況判断能力には素直に感謝するしかないですけれども……最初に聞かせて貰う権利を誰にも譲る積りはないです。

 浮気をする積りは金輪際ないですけれど、伝聞とか断片だけの言葉だけで判断しないでくださいね」

 要するに祐樹はまず本人に確認しろと言いたいのだろう。自然と項垂(うなだ)れてしまった。

「顔を上げてください。貴方の笑顔が私にとって一番の癒しなのですから……」

 宝物(たからもの)を扱うような手つきで祐樹の両手が頬を包んでくれている。祐樹の暖かな愛情が(てのひら)や男らしい指から伝わってくるようだった。

「煩悶なんてしなければ良かったなと、今となってはそう思う。

 こんなにも愛されている私なのに、祐樹のことだけは不安定に揺れてしまう心がどうしても存在していて……。それでつい……」

 自嘲の笑みを浮かべると、祐樹の指が額を軽く弾いた。

「『恋愛感情は目に見えないから信じられない』と付き合い始めた頃はよく(おっしゃ)っていましたよね。その頃に比べると随分変わられたので、これからは煩悶などなさらないようになりますよ、きっと。そうなるように私も努めますので、貴方も私の愛をもっと信じて不安定さを徐々に削っていきましょう、ね?」

 祐樹の唇が近づいて、自分の唇にそっと重ねられた。

 凍り付いた心が溶けるような優しいキスに陶然と目を閉じた。今までの重い気持ちが氷解して、春の陽だまりに祐樹と二人で佇んでいるような軽やかな気持ちになった。

            <完>


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