「あ……『一応上司として状況を把握したいので、執務室に田中先生を呼んで貰えますか?』」
画面の文字を読んだだけなので棒読みになっていないと良いけれども。
『承りました。では15分後を目途に田中先生が執務室に行くように調整致します』
特に不審は抱かれていない感じで電話が切れた。
「香川教授、田中先生の手術を聞くというのは口実ですよ。こういう絶好の機会にキチンと本人から聞いてスッキリして帰宅して下さい」
「手術」という言葉だけで蒼褪めていた呉先生が力付けるように背中を叩いてくれた。
「分かりました。行ってしっかり聞いて来ます」
内心では怯む気持ちがなかったわけでもない。しかし、このまま帰宅しても色々悪い方へと考えてしまうのは目に見えている。即断即決が外科医としての適性の一つで、周囲の人間から「その才能にも恵まれている」と称賛されたことは数えきれないけれども、祐樹のこととなると話は全く別になってしまう。
「では!行って参ります」
呉先生はスミレ色の笑みを満面に浮かべてもう一度背中を叩いてくれた。
「頑張ってくださいね。そんなに心配しなくても大丈夫だと考えますが、気になるので宜しければ結果を教えてくださいね」
呉先生の激励の言葉に笑みを浮かべて辞去の挨拶をした後に、決然とした足取りで旧館を後にした。
先ほどの旧館と異なって人ごみの絶えない新館の廊下を歩いていると、病院関係者は親し気な笑みを浮かべてお辞儀をしたり会釈をしたりしてくれた。
病院改革のために次期病院長を目指すと決心してから、なるべく話しかけるように努力はしていたものの、今はそんな余裕がこれっぽっちもない。
長岡先生や呉先生のおかげでかなり気持ちは楽になった。なったのは事実だが内心の不安はまだ存在していた。
祐樹は自分の外見こそ「好みのタイプ」と言ってくれてはいた。性格も褒めてくれている。暗記力も。暗記力はバカの範疇内なのだろうか?ただ、一般的に記憶力が良い人は「賢い」とされているような気がする。
秘書が帰宅した執務室に入って、執務用の椅子に座る。キチンと片付けられた机上の物を意味もなく並べなおしたり、ネクタイを結びなおしたりして刻々と迫りくる時間を息詰まる気持ちで過ごした。
扉が軽快な感じでノックされると共に「田中です。お呼びにより参上致しました」と声がする。
いつもなら弾む気持ちを抑えて事務的に聞こえるように「どうぞ」と即座に言っていた。しかし、今日は大きく深呼吸をした後に「入って下さい」と平静を繕って返事をした。
普段と変わらない祐樹の男らしく整った顔と淡い笑みを唇に浮かべた顔を見ても、笑みが浮かべられない。
「手術報告書など一式お持ちいたしました」
ドアの前で活舌よくテキパキとした感じの耳に心地よい声で言っている。この時間は帰宅する教授や教授秘書などが多いので、祐樹もそんな耳を警戒しているのだろう。
「確認するので、こちらに持って来て欲しい」
声は震えていなかっただろうか?そして表情が硬いと思われなかっただろうかと思いながら。
患者さんから差し入れのランチが届いた時などは応接セットに向かい合って座るが、とてもそんな気持ちにはなれなかった。
震えそうになる指で祐樹から書類一式を受け取って、素早くチェックした。黒木准教授と祐樹の処置は、自分でもそうするだろうと思った。
電子カルテが主流になったとはいえ、教授職への報告はまだ紙ベースだ。
その紙の束をデスクの上にパサリと置いた。その次の瞬間に、清水の舞台から飛び降りる気持ちで口を開いた。
「素晴らしいです。処置としては完璧ですね。
ところで…………」
息が苦しい気がしてネクタイのノットを緩めてしまった。祐樹が怪訝そうに自分を見ている。どこに座ってもらえれば良いのか全く分からなかったので立ったままだ。祐樹も多分、いや絶対に自分の様子がおかしいことに気づいている。他人の耳がある場所以外で自分が祐樹に丁寧語など使わない。「素晴らしいです」と言った時に秀でた眉が不審そうに寄せられていたのがその証拠だろう。
「何でしょうか?」
むしろ心配そうな表情を浮かべて祐樹が促してくれた。
「今日の16時頃、篠原さんのベッドに行ったな?」
本題になかなか入れず、外堀から埋めていくようなまどろっこしいことを言ってしまった。ちなみに篠原さんは患者さんの名前で、一部上場商社の専務で気難しいところも有る人のようだった。だから祐樹を担当医にしたのだが。
そしてあんなに談笑していたのだから祐樹のことを大変気に入ったのだろう。
「はい?参りました。久米先生と一緒に様子を見に……。ただ容体は安定しているようでして……単に機嫌が悪かったようですけれど……」
祐樹は何故そんなことを聞かれるのか分からないといった表情を浮かべている。
確かに、容体の急変などがない限り報告は必要ない。
「その時に……こう言っていたな……『見てくれだけのバカ……好きです。愛していると言っても良い』と。
……祐樹の好みは、本当はそうなの……か?」
机を挟んで前に立った祐樹は鳩が豆鉄砲を食らったような表情を浮かべている。
普通の人なら間抜けな顔になるハズなのに、祐樹の端整な眉とか引き締まった口元などでそうはならない。
「聞いていらっしゃったのですか?確かに言いました。言いましたけれど……」
「けれど」の後に何が続くのか聞きたいような聞きたくないような気持で綺麗なラインを描く口元を見上げていた。
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