あの人は――祐樹に聞いたら名前も覚えていないと言っていた――祐樹を口説いていた。

 当時は祐樹が口説いていたと壮大な勘違いをして一方的にショックを受けて逃げるようにアメリカに行ってしまったが、あの人は確かに賢そうには見えなかった。人間は見た目で判断出来ないが理性よりも感情が勝るタイプに見えたような気がする。

 ああいう人の方が、やはり祐樹は好みなのだろうか……。

 もしそうだったら、自分は祐樹の好みではないということなのかと思うと親から貰ったこの容姿も何だか呪いたくなってくる。

 大学時代に女性同士の話を聞いてしまった覚えがある。

「同じ大学でならともかく『クラブに行って大学どこ?』って話を振られるとドン引きされるからK都女子大とかって言ってる~」

「あ~それ凄い分かる。バカのフリは簡単だよね~。だってさ、え?何それ知らない~!分からない~って言っていれば良いもんね。私らさ、ミクロ経済もマクロ経済も習うから、株とかの投資方法も何となく分かるよね~。でさ、銀行員に声かけられたことが有って、二回個別で飲みに誘われて……」

「ナミってモテるから~」

「ううん、そんなことはないけどね~!投資信託勧めて来たんだよ。だからクラブで声掛けて営業の一環だと思うよ~。でさ、お母さんにその話したら『こちらの個人情報は何一つ開示しなくて、相手の話だけ聞いて来なさい』とか()われて……。『投資信託?それ何?美味しいの』的に話を聞いたんだ~。そしてね、そのお勧めファンドをしっかり記憶して帰って、ネット証券で調べたら、手数料無料だったんだ。銀行はしっかり手数料取って儲けようとしているのが嫌だよね~!それか、ノルマでも有ったんじゃないかなって思う。ま、私らも銀行に就職したらああなるのかな~!社会に出るって厳しいよね。K大卒だと上司とかは知っているわけだし、ウチの大学出ててそんなことも知らないのかって言われちゃうだろうし……」

 学食で耳に挟んだ言葉だった。今の今まで脳の奥底に眠っていた会話の断片だったが。

 そして二度と再生する機会がないと思っていたシロモノだった。

 祐樹は自分の知識や経歴も勿論知っているわけで、今更バカな振りは出来ない。

 どうしたら良いのだろうか?あの場に居た久米先生に詳しい経緯(いきさつ)を聞いてみようかとも思ったが、患者さんの容態のことならともかく祐樹と患者さんの雑談内容などを聞き出すのは、少なくとも自分にとっては至難の業で……。頭まで痛くなって来た。

 久米先生がダメなら祐樹に直接聞くという手もあるが、どうやって切り出せば良いのか分からない。

 頭痛薬を飲みながら文字通り奈落の底に落ちていく気分を味わって……真っ暗な闇に身体ごと溶けていくような気分だった。

 こういった問題を相談出来る人は?と考えて真っ先に不定愁訴外来の呉先生だ。

 優秀な精神科医でもあり、同性の恋人とケンカしながらも仲睦まじく暮らしている。自分にとって、祐樹は最高の恋人であり、生涯を共にしようと約束した仲でもあるけれども、祐樹の本当の好みが「バカ」だったとしたら……そのうち破綻してしまうのかもしれない。そう思うと居ても経っても居られなくなる。

 PCの前で不定愁訴外来の予約状況を見る前に祐樹の勤務シフトを再び確認してしまう。つい先ほども見たばかりだったけれども。やはり祐樹は二日後の夜にしか帰宅しないと画面が無情に告げている。ちなみに教授職であるアカウントなので、割と色々な科のことも表示されるし、自分の医局員のシフトなどは常時把握出来る。

 不定愁訴外来はあいにく予約した患者さんで埋まっていた。呉先生のラインに「可及的速やかにご相談したいことがあるので、都合の良い日時を指定してください」とだけ送信した。

 中々既読が付かないのは、患者さんと話しているからだろう。

 長岡先生はどうだろうか?女性の意見も聞きたいと思った。

 先ほど部屋に居た秘書も女性だけれど、雑談めいたことは全くしないしお互いの私生活について――同性の恋人という存在は、社会的な認知度とは異なってこの病院では隠してかなければならない極めてデリケートな問題だ――話したこともない。

「もしもし、長岡先生ですよね。少しプライベートなことで相談に乗って頂きたいことが有りまして……。はい。では直ぐに伺います。いえいえ、こちらから足を運びますので」

 長岡先生は経歴だけを見ればK応幼稚舎から高校までを卒業し大学は日本で最も偏差値の高い医学部だ。祐樹や自分がこの大学を選んだ理由は地理的なことと経済的なことだけだったが。

 K応にも医学部は有るのだけれど、高校の担任に「成績はともかくその不器用さではねえ……」と断られたと聞いている。T大の試験はペーパーテストのみなので本人(いわ)く良かったとのことで。

 仕事面では有能過ぎる人なのだが、私生活は色々な意味で破天荒だった。ただ、祐樹がそれを面白がっているフシもあるし、何より肉親の縁の薄い自分にとっては少し困ったところのある妹みたいな感じだった。それに婚約者が日本で一番有名な私立病院の御曹司なので、色々と社交(?)めいた交際は多いだろうし。

「香川教授、どうなさいました?お顔の色が優れませんけれど?」

 いつもなら片付けたくなるような乱雑さに満ちた部屋だった――どうしてコーヒーカップとマグカップがデスクの上に計5つも並んでいるのだろう?とは思ったが――今日はそれどころではない。

「あのう、バ……あまり……賢くない女性とお付き合いしたがる男性の心理についてご存知のことが有ればお教えください」

 困ったように笑う長岡先生だったが、彼女も優秀な内科医だ。内科の内田教授が本気で引き抜こうとしているほど。

「コーヒーですか?私が淹れますので聞かせてください」

 何かしていれば少しくらい気が紛れるだろうと思って、マイセンとウエッジウッドのカップ類を机から取り上げてコーヒーメーカーの前に立った。

「コーヒー豆がないのですが……」

 困惑して後ろを振り返った。




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