「見てくれだけのバカ……ああ、それは大好きですね。もう、愛しているといっても過言ではないです」
部屋の最も奥で数人と話しているらしい。患者さんの声高な声や笑いで祐樹の会話全てが聞き取れたわけではない。
「え?田中先生ってそうなのですか?それは意外でした……」
久米先生の声も聞こえる。
見てくれだけのバカが好き?愛している……?
「あ、香川……教授。田中先生がフォローに入ってくれているようですので、一旦は外に出ましょう」
祐樹の言葉に頭に脳が詰まってないような気がして来た。
いや、気を確かに持とう。
祐樹が自分のことを好きと言ってくれたことや生涯に亘るパートナーとして一緒に居てくれることは既定路線のハズで、今の今まで露ほど疑ったことはなかった。
「ああ、もうこんな時間だ。病院長から呼ばれているので、今から行かなければならないので……。用事が有ったら、呼んでください」
柏木先生にそう言うのがやっとの有様だった。
病院長のアポイントメントなどはなくて、単に一人になりたかっただけだ。
祐樹の衝撃の告白(?)を聞いたのが手術前でなくて本当に良かったと思った。
病院内のエレベーターの遅さも――車いすの患者さんが乗ることも想定して設計されたのだから当たり前だ――今の自分にとっては苛立ちのタネになっている。
外科医としては気の長い性格だと自負していたのだが、祐樹絡みになるとこの体たらくだ。
エレベーターに乗り込むと教授執務階のボタンを何回も叩いてしまう。
「すみません、急ぎの仕事は有りますか?」
事務処理能力抜群の秘書に声を掛けたのは殆ど条件反射というか無意識で行っているような類いだろう。
「いえ、特にはないです。コーヒーでもお淹れ致しましょうか?」
テキパキとPCを操作しながらそう聞かれた。
「いえ、大丈夫です。
少し熟慮を要することが出来まして……。一時間ほど一人にして頂けませんか?」
停年間近の彼女は、何だか変な表情を浮かべて自分を見ている。
いや、頭が真っ白な今の自分は充分ヘンだと自覚しているけれども。
「教授、一時間後はもう勤務時間が終了している時間ですよ……」
ああ、そうだったなと今更ながらに気付いた。
午後の手術も無事に終わり、その後執務室での事務仕事を――たいていは秘書が作ってくれた文書にサインか印鑑を押すだけだ――こなしてから医局エリアに下りていったのだから。
「ではお言葉に甘えて、早退させて頂きます」
そこまで甘えるわけにはいかないだろう。
「いえ、私の都合ですから。そうですね……。適当にどこかで時間を潰して、定時になったら戻って来て下さい」
教授秘書としてとても優秀な彼女は勤務歴も長いので病院内のあちこちに知り合いがいるらしい。その知り合いが忙しかったとしても図書室とか外の喫茶店などで時間潰しは出来るだろう。
「ではお言葉に甘えます」
気がかりそうな目を向けられた。
一人になりたいと言った自分は多分表情が変わっていて「よほどのこと」があったように見えたのだろう。
よほどのことが祐樹に関わるということは(多分)気付かれていないと思うが。
患者さんからの差し入れのランチを最も一緒に摂ることが多い医局の人間が祐樹だということは彼女も弁えている。
しかし、特別な関係だとは思われていないだろう。特に祐樹の態度とか巧みな弁明で。
彼女が出て行った後に、PCを開いてメールや予定をチェックした。
特に問題はなかったので、執務用のデスクに肘をついて、頭を抱えた。
祐樹の好みが「見てくれだけのバカ」……。
日頃から「面食いです」とは言われている。そして「その面食いの私が好きになった貴方なので、当然好みの顔をしていますよ」とも。
自分では良く分からないものの、祐樹好みの容姿をしていることは確かだと思う。
しかし、バカとは……。
祐樹は記憶力の良さをいつも褒めてくれているし、バカ扱いされたことは祐樹含め誰も居ない。
大学時代に「香川は医学バカだから」と小耳に挟んだことは有るけれど、それは「医学以外に興味を持たない」という意味だと思う。
実際、朝から夕方、もしくは夜にかけて講義とか臨床をこなして、その後救急救命室にボランティアに行っていた。つまり朝から夜までずっと医療に専念していたので、そう言われても仕方なかったと思う。
当時は医師免許を持っていなかったために救急救命室では補助的な仕事しか出来なかったが、それでも良い経験になったと思っている。
ただ、単純に「バカ」と言われた記憶は生まれてから今まで一回もない。
とすれば、祐樹の好みとは全く異なるわけで……。
あの衝撃のシーンがフラッシュバックのように襲ってきた。
祐樹が綺麗な人とゲイバーで楽しそうに話している場面。
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