「羽化に成功したら――この部屋には天敵となる鳥などが居ないので成功確率はかなり上がると思いますが――明日の朝は逃がしてあげましょう」

 最愛の人はカーペットに(ひざ)をついて幼虫達の亀の歩みを見つめているようだった。

「飼いたいというお気持ちは分かりますが、難しいのです。昆虫学者でもセミを完全に飼育出来ないらしいですよ」

 残念そうな光を宿す最愛の人の眼差しもとても綺麗だったが。

「そうか……飼えないのか……。確かに樹に管を差し込んで吸うらしいから、家に持って帰るわけにはいかないな……。それに自由に飛んだり鳴いたりしている姿の(ほう)がこの子達に向いているような気もする……」

 自分自身に言い聞かせているような言葉だった。

「その代わり、カブトムシやクワガタは飼えますよ。貴方がその気なら持って帰りましょう。

 そろそろ参りましょう」

 祐樹が促すと、未練たっぷりといった感じでセミの幼虫達を眺めている。

 先ほど放した場所から数センチしか移動出来ていない。

「分かった。カブトムシとかクワガタ取りもとても楽しみだ……」

 最愛の人の腕が祐樹の首に巻きつくと、感謝の印のような口づけをくれた。

「セミの羽化も綺麗ですが……。聡の花が開くような羽化も楽しみにしています……」

 祐樹の手で頭を固定しつつ最愛の人の唇のごく近くで囁いた。薄紅色の薄い唇が祐樹の呼気で湿っていく。

「――テクノロジー系以外だったら……大歓迎だ」

 祐樹の唇に重ねる前に紡がれた言葉は彼の本音だろう。

 もっとこのしなやかな肢体を抱きしめて、服を脱がせて素肌を密着させたいという欲求をなけなしの理性で抑え込んだ。

「神戸もかなり山奥だと思ったが、この辺りは凄いな……。人の家よりも田んぼや畑の(ほう)が多いのだから……。あの看板には『(いのしし)の肉』って……」

 最愛の人はアポ〇チョコを器用に割ってイチゴ部分を唇に入れて、チョコ部分を祐樹へと分けてくれている。

「この辺りは、猪の肉を売っていることで有名らしいです、一部の人の間では。

 ほら『ボタン鍋』屋さんもあります。今の季節は営業しているかどうか知りませんが」

 「ボタン鍋……」とイチゴの香りをほのかに混じらせた最愛の人が不思議そうな感じで復唱している。博識な人なのに、知らないこともあるのだなと微笑ましく思った。

「猪の肉がメインの鍋料理です。牛肉よりも赤みが濃いので、赤い牡丹(ぼたん)の花に見立てた名前らしいですよ。割と美味しいですけれど、今の季節に営業しているなら冷凍モノだと思います。秋から冬が一番美味しいです。

 興味有りますか?」

 イチゴ味とチョコ部分を器用に分離させている最愛の人は祐樹の説明を頷きながら聞いていた。

「そんなに美味しいのか……。興味はあるな……」

 チョコ部分が細く長い指で祐樹の唇に押し込まれる。

 離れていく瞬間を狙って、舌で親指を上から下まで辿った。指の付け根は念入りに。

「あっ……」

 イチゴの香りのする切なげなため息が堪らない。

「ここは一応市街地ですので、山に入りますね。

 秋から冬にまた訪れたら、この辺りでとれた(クリ)もお土産に出来るでしょうし……」

「栗か……。イガイガの付いているのも売っているのか?」

 頭を振っているのは悦楽を散らすためだろう。ただ、完全に鎮火していないのは艶やかさを増した言葉で分かった。

「そこまでは……。でもお土産物として有名なので、イガイガつきの方がそれらしいですよね。

「この辺りだと大丈夫そうですね。容器を持って車から降りてください」

「分かった……。

 なんだか。本当に人っ子一人いないのだな……。

 あ!セミまで居る……。祐樹……あれは……」

 街灯しかない山道に車を停めるとシートベルトを外すのもじれったげな様子でいそいそと車外へと出た最愛の人の傍らに立つと、切れ長の目を(みは)って祐樹のポロシャツの腰部分を掴んでくる。

「見たところ、毒のある蛾などはいなさそうですので、そのまま街灯に向かって歩いてください」

 そう言ったのに、最愛の人は祐樹の指を付け根まで絡めてきた。

 無意識にしているのか意識的なのかは分からないものの、人が全く居ない場所なので問題はないだろう。

 祐樹は最愛の人お手製の容器を片手で持って、最愛の人が弾むような足取りで歩く方向へと引っ張られる格好になった。

 連れてきて本当に良かったと思った。理性で何とか抑えたが、本能のままにベッドに押し倒さなくて正解だったようだ。

「祐樹、あれはカブトムシか?」

 弾んだ声が紅色に染まっている。すらりと長い指が一点を指していた。

「あれは、残念ながらカブトムシではないですね。カナブンだと思います。

 セミも、街灯の光を太陽だと勘違いして鳴いていますね。

 ちなみに鳴くセミって(おす)でしょうか?(めす)でしょうか?」

 残念そうに結ばれる唇がとても綺麗だった。

「カナブンは……窓を開けていた時に、執務室にも入ってきたことがあるので……。そこまで珍しい虫ではないな……残念。

 え?雄が鳴くのだろう?雌を引き寄せるために……?」

 最愛の人が傾げた首に唇を重ねて、背中をするりと撫で上げた。

「そうですよ。求愛のために鳴いているのです。

 分かりやすくて良いですよね。より大きな鳴き声を発するセミに雌は寄っていくそうです。

 その点、人間はシンプルな求愛のサインがないので、困りモノですよね……」

 そろそろ、羽化の第一段階に入っていいような気がした。

 耳朶を噛んで甘く囁くと、しなやかな背中がひくりと反った。

「ゆ……祐樹……。キスして欲しい……と言いたいところなのだが……」

 腕の中に居る人の視線が街灯に照らされた地面に注がれている。

 同じ方向を見ると、祐樹も思わず微笑んでしまった。


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